History金陽製薬の歴史・沿革
創業80年を超える歴史。私たちが目指したのは、
太陽のように明るく全てのお客様を照らす、地域社会を照らす、
そんな「信頼される明るい会社」です。
金陽製薬株式会社の歴史
金陽製薬株式会社は創業から80年を超えました。
北山藤一郎が昭和6年にサーブ製薬研究所として個人創業し、「大和の置き薬」のメーカーとして家庭配置薬の製造が当社の始まりです。
昭和22年3月に金陽製薬株式会社を設立。
社名の由来は、所在が大阪府と奈良県の間にある金剛山の南側に位置し、「山の南側は陽当たりが良いので大木もすくすく成長する」とその大木のように成長する会社になるとの決意をこめ、「金剛山に太陽が燦々とふりそそぐ場所」を表す”金陽”と名付けました。
その名のとおり、太陽のように明るい会社でありたい・・・。
金陽の製品をご利用頂いている消費者の皆様や、また仕入先・販売先などのお取引様から、そして社員をはじめ金陽製薬にかかわる地域社会の皆様から「信頼される明るい会社」でありたい、と考えております。
栄養ドリンクを基盤とした社会への貢献
当社創業時に提供していた「置き薬」は江戸時代からの歴史があり、医療が充実していない時代に自分の健康は自分で守ろうという現在のセルフメディケーションの考えにつながっています。
今、そのセルフメディケーションの重要性が叫ばれております。
高齢化社会、環境悪化に起因すると思われる慢性疾患の増加などから"病を防ぐ"予防を意識した商品に対するニーズが増え、当社でもそういったニーズに応えるべく、信頼される医薬品・医薬部外品・健康食品づくりを心掛けております。
当社の製品が皆様のさらなる健康の維持・促進にお役に立てるよう技術の向上を図って参ります。
また、製造委託頂けるお取引様には、当社の長年培ってきた栄養ドリンクのノウハウや技術をベースに、利益を産む栄養ドリンクビジネスをコーディネートさせて頂きます。
栄養ドリンクをベースに地域社会にいっそう貢献できるよう努めて参ります。
沿革
昭和6年8月 | 初代社長 北山藤一郎 が奈良県宇智郡五條町二見168番地に サーブ製薬研究所を創業。 |
昭和22年3月 | 同所にて 金陽製薬株式会社 を設立。 |
昭和36年4月 | アンプル入り内服液剤の製造開始。 |
昭和40年1月 | 医薬品、滋養強壮ドリンク剤の製造開始。 |
昭和42年1月 | 五條市中町345番地に金陽製薬株式会社阪合部工場を建設、ドリンク剤の製造設備を新設。 設備を完了。 |
昭和46年10月 | 二見本社工場を阪合部工場に移転統合し五條工場とする。 |
昭和50年5月 | 代表取締役社長に北山宏和が就任。 |
昭和52年7月 | 五條工場の増改築を完了。ドリンク剤の製造ラインを更新。 |
昭和59年10月 | アンプル入り内服液剤の設備更新。 |
昭和61年12月 | 入浴剤のオートメーション製造設備を完了。 |
平成3年9月 | ミニドリンク充填ラインを更新。 |
平成8年12月 | 新GMPに伴なう製造業の業許可の更新。 |
平成10年3月 | テクノパークならに 8,068㎡ の工場用地を取得。 |
平成11年12月 | テクノ奈良工場 完成。 |
平成12年5月 | 100mlドリンクライン操業開始。 |
平成17年1月 | 代表取締役社長に 北山英樹 が就任。 |
平成17年4月 | 第二種医薬品、医薬部外品、化粧品製造販売業許可。 |
平成18年3月 | テクノ奈良工場 ミニドリンクライン新設完了。 |